知を継承する教育、そして知を創生する研究は、教育・研究機関の変わらぬ使命です。
私たち東京電機大学は、知の継承と創生の担い手です。
社会を構成する一員として、良き市民たる科学技術者を育て、社会に輩出し、
また研究成果を社会に還元して、科学技術の健全な発展に取り組んでいます。
TDUは夜間学校から始まった
2人の青年技術者、廣田精一と扇本真吉が開設した夜間の「電機学校」が、東京電機大学の始まりです。廣田と扇本は、日本が将来“技術立国”になる夢を抱いて、科学者・技術者の養成に取り組みました。2人の大志「後世、科学技術の総本山たらん」は、教師と生徒たちによって脈々と受け継がれ、今日に至っています。
NHKよりも早くラジオ放送をスタート!
TDUでは1924年12月から毎週土曜日、ラジオ実験放送を行っていました。NHKのラジオ実験放送開始は1925年3月、一般向けラジオ放送の開始は約2年後です。
日本初のテレビ公開実験がTDUで
1928年11月、“テレビの父”と言われる高柳健次郎氏が、日本で初めてのテレビジョン公開実験を行いました。その栄誉ある場所にえらばれたのが、東京電機大学の実演教室!当時の日本でこのような実験ができる設備を備えていたのは、東京電機大学だけでした。
新しい情報伝達手段は初代学長・丹羽博士の業績
1928年、京都で行われた昭和天皇即位の礼の写真が、「NE式写真電送装置」によって、京都から東京へ電送されました。日本初のファックス通信の成功です!この装置の発明者は、初代学長の丹羽保次郎博士。丹羽博士は、「日本の十大発明家」(特許庁)のひとりです。
秋葉原電気街を育てたのはTDU
第二次世界大戦によって焼け野原になった神田小川町・須田町に、真空管やラジオの部品を扱う露店が現れました。キャンパスに隣接であり、戦後すぐ授業を再開した東京電機大学の学生が殺到し、電機部品を買い求めました。ラジオ製作のブームともあいまって、露店数は続々増加。その後、露店撤廃令(1949年)によって、店はキャンパスから徒歩10分以内の秋葉原に移転し、秋葉原電気街が誕生しました。
日本初の夜間大学院!
現在では、日本の大学院の多くが昼夜開講していますが、日本で初めて夜間大学院を開設したのはTDUです!現在も多くの専攻が昼夜開講し、働きながら学びたい学生や社会人に学びの場を提供するパイオニアの位置を、揺るぎないものにしています。
理工学部開設
昭和50年代、コンピュータが誰でも気軽に使える時代が到来した。本学もその先導的役割を果たし、マイコン、パソコンの創世時代をリードした。昭和52年には、拡大する技術系人材の需要と科学技術の高度化・多様化に対処し、理学と工学の学際的視点から新たな分野の開拓を図るため、理工学部を開設した。
千葉ニュータウンキャンパス開設
平成2年、工学研究科の強化充実及び学部教育の特色化を図るため、千葉ニュータウンキャンパスを開設した。平成13年、千葉ニュータウンキャンパスに情報学の新分野として、先端的な教育・研究を目指す情報環境学部を開設した。先進的な教育の取り組みが注目された。
高等学校小金井開設
平成4年4月、小石川キャンパスから小金井キャンパスに校舎を新築、全面移転した。そして、平成11年の男女共学、平成13年3月に工業科を廃止して普通科に統合した。
東京電機大学中学校開校
平成8年4月1日に新制中学校を設置。平成11年4月に男女共学へ移行、中高一貫教育への社会的ニーズに応えている。
2007年9月、学校法人東京電機大学は創立100周年を迎えました
2007年、学校法人東京電機大学は、創立記念日の9月11日(火)、千代田区北の丸公園の日本武道館において、来賓、校友、父母、学生、生徒ならびに教職員合わせて5,530名の出席者のもとで、創立100周年記念式典・名誉博士号授与式・記念講演を挙行いたしました。