木村 保 さん
最終所属:工学部第一部 電気工学科
卒業年月:平成5年3月卒業
現所属:福島県公立商業高等学校、福島県高等学校野球連盟 理事長
担当科目:数学科
元々、高校の数学教師を目指していたのですが、高校時代選択した理工学部系の物理と化学に関しても興味を持ったため、人として知識の幅を広げたく、歴史と伝統がある東京電機大学に進学して工業の免許も取得しよう考えました。東京電機大学は、先生方のサポートも熱心で就職の支援が手厚いという評判が高く、さらに東京での学生生活に憧れていたため、千代田区神田及びお茶の水という都市部にキャンパスがあったことも大きな魅力を感じ、充実したキャンパスライフが満喫できるのではないかと考え、受験しました。
高校3年の夏です。憧れの甲子園を目指し高校3年間野球に打ち込んでいました。最後の夏、初戦敗退となり「もっとやりたかった。不完全燃焼だった。でも、もうできない。だったら指導者として甲子園を目指そう」と心に決めたのが大きなきっかけであります。
3,4年で教職課程の履修が忙しくなることを想定して、1,2年のうちに卒業に必要な専門科目の単位をきちんと修得することに必死だったことを思い出します。夕方からの講義に出るのが大変で苦労しましたが、教職課程を履修するため初志貫徹で頑張れました。
上手な表現はできませんが教育学部系ではないため、夕方からの時間帯に自ら進んで履修し修得しないと教員にはなれないといった生活を送ったことで、「絶対教師になってやるぞ」という使命感のようなものが身につきました。さらに、工学部の専門的な知識が授業の中で生かされています。また、家庭教師のアルバイトを沢山経験したことも現在にも生かされています。
教育実習は母校(磐城高校)で2週間やらせて頂きました。教材研究やほぼ毎日の授業実践、そして放課後の部活動指導など、へとへとになりながらも充実した時間を過ごせたことが、今でも自信になっています。
〔筆記試験(専門教科、一般教養、論作文等)〕
当時の福島県の採用試験は、1次試験で教職教養と専門教科の2つの筆答試験があり、それに合格すると2次試験で小論文と個人面接(2回)がありました。とにかく、1次のみに集中して教職教養と専門教科(数学)の対策をしました。対策内容としては、現在のように対策専門の問題集などはなかったので、教職教養については教員志望者のための情報及び教養の月刊誌(2つ)、専門教科(数学)については「大学への数学 1対1対応の演習(東京出版)」などを中心に書店で購入し勉強をしました。小論文対策としては、教職教養の月刊誌が役立ちました。
〔人物試験(面接試験)〕
面接試験については、大学4年次の最初の試験では残念ながら1次で不合格となったため何も対策はせず、翌年に福島県の高校の常勤講師(夜間定時制)として採用となり、昼間は教採の勉強をし夜間に授業という生活で何とか1次を突破し、それから職場の校長先生はじめ先生方に面接指導を何度も頂けたお陰で採用試験に合格することができました。
進学校、実業学校、地域に根ざした中堅校、定時制高校などの多様な生徒を指導してきました、それぞれの生徒の実態に応じて「1時間の授業をどう集中させることができるか?」そして「問題を解くことができたときの嬉しさや楽しさを学ばせるためにはどうしたらよいか?」を常に念頭において日々失敗と成功を繰り返しながら指導にあたっています。
高校生という多感な成長期にクラス担任や教科担任、そして部活動の顧問としてあらゆる場面で関わり、成長していく姿を身近で体感できることだと思います。さらに、卒業後の成長などに関われたときにもやりがいを感じたりします。(同窓会、結婚式など)
多忙ではありますが、やりがいのある充実した日々を過ごすことができます。ぜひ、教員になってほしいです。その為にも学生のうちに「専門教科をしっかり学ぶ」、「何らかの社会体験を積極的にする」ことをお勧めします。正しい知識と幅広い識見を持ち、いろいろな人との交流から様々な価値観を学び、広い視野をもつことで人間力や人間性を高められると良いですね。
選手たちを指導する上で第一に心がけてきたことは、「選手ファースト」です。実際に試合で野球をやるのは選手ですから、これだけはぶれずにと思ってやってきました。その上で「学校生活を全力でやりきる」ことが如何に大好きな野球に繋がるかを、それぞれの学校の実情や地域性、時代の風潮などに対応し試行錯誤を重ねて選手たちに伝えてきました。さらに、選手たちを支えてくださる家族やOB、地域の方々を味方にしようと心がけてやってきました。それでも選手の指導に長年携わってきて何が正解なのかは未だに分かりませんが、これまでの経験を踏まえて高校野球の魅力を伝えていきたいです。
2020年甲子園高校野球交流試合第4日(8月15日)第2試合・国士舘高校(東京)
まずは、最初に選抜出場32校へ救済措置としての甲子園交流戦の開催と特例措置として私までもノッカーとして参加させて頂けたことに大会関係者をはじめ学校関係者の皆様に感謝したいです。そして、甲子園は夢のようでした。試合前のシートノックでは、こんなにも人生の中で特別で濃密な7分間を過ごしたのは初めてであり、1球1球魂を込めて打つことが出来、かけがえのない時間となりました。選手たちは、ようやくつかんだ夢舞台で強豪国士舘高校と対戦し3対4の惜敗となりましたが、粘り強く、我慢強く、泥にまみれながら最後まで諦めず見事に私が言い続けてきた部訓『Play Hard〜全力疾走・全力プレー〜(どんな状況でも、勉強も野球も全力で最後までやり遂げること)』を体現してくれました。試合終了後、「苦しくても一生懸命やっていれば必ず光が見えてくる。野球の神様は本当にいるんだな・・・。」と感慨深く、目頭が涙で溢れてしまいました。
野球は勝ち負けのスポーツですから、勝った時の喜び、負けた時の悔しさは当然あります。しかし最大の魅力はやはり、野球を通じて子どもたちが人間的に成長していく様子がしっかりと見えることだと思います。夏の大会などでは、1戦1戦、苦しい場面を勝ち上がっていく中で、生徒たちは驚くほどたくましくなります。たとえ負けたとしても、悔しさのなかで、「自分たちは決して間違っていなかった」と思ってほしいです。進学や就職、結婚など、人生の岐路に立った時、「自分はやりきったんだ」と思い出せるようにしてあげたいです。それが長い人生の中で大きな財産になると思います。生徒には常に、「人生は1回しかない。やるかやらないか悩んだら、絶対にやった方がいい」と言って送り出しています。