学長インタビュー

2017.07.05

先日、安田学長と汐月教育改善推進室副室長の対談を行いました。
これからの東京電機大学における教育のあるべき姿や安田学長の学生時代の話も語られています。
これは教職員向けのメールマガジンの内容ですが、学生の皆さんにも参考になるお話となっております。
ぜひご一読下さい。

東京電機大学
安田 浩 学長

東京電機大学
教育改善推進室 副室長
汐月 哲夫(未来科学部 ロボット・メカトロニクス学科 教授)

「意識」を育てるような教育を

汐月
東京電機大学の強みは何だと思いますか。また、今後目標とすべき方向性についてお聞かせください。

安田
東京電機大学(以下本学)の強みとして、面倒見が良いことは確かです。「実学尊重」の理念のもとに、技術を持った社会に貢献する人材を、先生方が一生懸命に育てようとしています。これは本学の教育の大きな強みであると思います。ただ、「自分で何かを決めて行動する力」が弱くなっている学生も一部いるのではないかと心配しています。大学側がやるべきことを決めすぎていて、そのレールに乗っていれば上手くいくと考えている学生もいるのではないかと思います。積極的に何かを取り入れようとする姿勢は、学生が社会に出たとき必ず必要になる力です。「自分に何ができるのか」、「今、必要なことは何なのか」、「どうすればチームに貢献できるのか」、これらを理解することはとても重要なことです。
例えば、わずか2週間のインターンシップでも、学生本人が「意識」をしっかり持っていれば、積極性は身に付くのではないかと思っています。大学でもインターンシップ先でも、お客様扱いされて「自分で何かをやらなくては」という意識がないとすると、それは良いことではありません。自分から「発信」できるようにならないといけません。どこにいても、自分のいる環境から何かを学びたいという意識を持つことが大切です。そのため、私は初年次教育が果たす役割は大きいと思っています。基礎学力をつけようという意欲や意識づけ・気づきを引き出せる教育を、初年次にもっとしていかないといけないのではないかと思います。

汐月
「何のために大学に来たのか」、「この科目は何のためにやっているのか」、そうしたことを基礎教育の際に意識すべきということでしょうか?

安田
「自分が今何をやらないといけないのか」、「自分の役割分担はなんであるのか」、そういう意識を持つようにならなければいけません。自分で気づいて動けるようにすること、それを教える場がないのではないかと思います。本来ならPBL(Project/Problem Based Learning)などのアクティブラーニング(能動的な教育手法)は、自ら発信する力や役割意識を引き出すための手法だと思うですが、そのような力を引き出すようには使われていないのではないでしょうか。

汐月
アクティブラーニングの方法論ばかりが先行してしまって、実際には機能していないということでしょうか。

安田
まずは、世の中には色々なことがあるということを知らなければいけない。高校生の時は大学受験一辺倒で、合格することが目標になっているのではないでしょうか。大学入試に受かることが目的であって、その先に何があるのか何も知らず、大学入学後に目標が無くなってしまう学生が多い気がします。しかし、社会には沢山の問題や目標があります。そのことにまずは気づかなければなりません。それが「自分に合うか合わないか」、「やってみたいかみたくないか」、ということを仲間と議論をするチャンスが生まれるのが、アクティブラーニングだと思っています。

汐月
基礎教育だけではなく、専門教育もそうあるべきでしょうか。

安田
「意識を育てる教育」と「学問を学ぶ教育」は、別のものだと私は考えています。専門科目を学ぶ上でも、意識を育てる教育はできるだけ早い段階から始める必要があると思います。先生方もPBLなどのアクティブラーニング教育では、グループで議論をする場を設けて欲しい。

汐月
私たち教員も、「意識を育てる教育」に注力しないといけないですね。しかし、学問的・専門的なことを伝授することには慣れていますが、学生の意識改革のお手伝いをするという点についてはテクニックがありません。

安田
それは、仕方がない部分ではあります。昔の大学生は、自ら進んで学ぼうという意識がとても強かったと思います。今の学生は、大学に入ることだけが目的になってしまっていますから。しかし、今の大学生に「意識」さえもってもらうことができれば、「この単位はどうしても取りたい」などのモチベーションにつながってくると思います。そういう意識がないところに、基礎教育をぎゅうぎゅう押し込んでも、嫌いになるか上の空になるだけだと思います。

汐月
順番としては知識を教える前に、学生の意識づけが大切ということですか。

安田
専門性を身につける前に、世の中には本当に様々なことがあるのだということ知っていないといけません。これは基本です。教養教育は多様な社会や文化を知る一環であって、学生全員がその分野の権威になれるはずはありません。教養教育の先生は、学生が将来エンジニアとして活躍するための教養を身につけることを重視してほしいと思います。

汐月
そういう意識を学ぶ場と専門性を学ぶ場と、2つの学びの場が必要ということですね。多様性を知るには、必ずしも教室だけが学びの場ではありません。本学の1年生の時間割は殆ど必修科目で埋まってしまいますが、開講科目が多すぎるといったことはありませんか。

安田
学部教育の段階においては、殆どの科目は必修で良いと思っています。専門を身につけるにしても、基本の70%くらいは同じで、残りの30%くらいが専門応用の部分だと思うのです。例えば、建築学科の学生が建築士の資格を取らなくても良い、ということは無いでしょう。全員でそこを目標にはするけれども、その先にデザインをやるか、構造をやるかなど、個性を出す部分は各自違うものを目指せば良いと思います。しかし、「ここだけは絶対」という部分はどの学科にも必要です。
根幹となる専門を確立した上で、可能であるのなら、専門性も一種類ではなく、すこし違う分野もマスターしてくれるのが一番良いと思います。3つも4つもいらないけれども、1つでは足りないので2つはあっても良いのではないでしょうか。

時に応じたリーダーシップを発揮してほしい


汐月
今までのお話は入学から学部までの話になりますが、今度は大学院の話をお伺いします。大学院生については、先生のお考えはいかがですか。

安田
大学院生は、自分の意思を持った者として行動するべきです。自分の専門性を持ち、きちんと活躍するのだという意識を持って動くことができますから、今の完全な縦型の教育システムは、少し気に入らないところもあります。多少、専攻を動くことができて、他の学問も学修できるようになることが望ましいと思います。確かに、縦の専門は自分の特色にはなるかも知れませんが、それとは別に学際的に何かを身につけ学べる環境があっても良いのではないでしょうか。プロの能力とは、学部の学生であれば知識があることになりますが、大学院生であれば、知識を持った上で更にリーダーシップを発揮できることも必要です。それが無いと、プロの能力とは言えません。その分野でリーダーシップを取ることができるというレベルになって欲しいと思います。リーダーシップを取れるようになるには副専攻が必要で、多様なことをわかっていないといけません。教養と専攻だけではなく、自分が今何をすべきかを考える力がないとリーダーにはなれません。
しかし、いつどんな場面でもリーダーでいる必要はありません。社会はチームで成り立っています。自分が常にリーダーである必要はないのです。必要なのは全体のバランスを見極めることのできる力であって、個人のわがままだけを主張しては成り立ちません。このプロジェクトではサブリーダーに回った方が良いと判断したのなら、その役割をするべきです。時に応じた自分の役割をすぐに理解でき、その働きをするという意識を持つことが大切です。それを瞬時に理解できるようになるには、チーム活動をたくさん経験して育てないといけません。

好奇心を育てる仕組みを作りたい

汐月
グローバル社会に向けた教育はどうお考えですか。先生が考えている真のグローバルとは何ですか。

安田
先ほども申し上げたように、様々なことを見聞きしないとグローバルな考えは育たないと思います。なるべく早いうちに、「世界はこうなっているのだ」と学ぶ機会があれば良いと思います。そのことを耳から聞くだけでも良いでしょう。全く聞いたことがない、想定外というのは良くありません。多種多様な文化に対して、好奇心を持って触れることができるかどうか、国や文化に関心を持って、例えば自分から英語を学んでみようと思えるようになるかということが大切です。先に英語を勉強すればグローバルになれるわけではありません。そういう意味では、先生方も意識を持ってほしいと思っています。先生方のためのFD(Faculty Development)もただ聴講して終わりではなく、講師から何が得られるかを意識しながら主体的に参加して欲しいと思います。色々な人がいるから、全ての人が共感するとは限らないけれども、自分の知らない話があれば、とにかく聞いてみることが大切です。知識や未体験なことに対して、貪欲になってほしいですね。

汐月
先生のご専門のITに関してもそうでしょうか。使いこなせる人間と使いこなせない人間と二分化されていますが、今後のIT社会において教育の中でどう取り扱えば良いでしょうか。

安田
ITは場の提供であって、利用する側の意識の問題です。沢山のことを見聞きし使いたい、という気持ちがなければどうにもなりません。ITを川に喩えてみると、知識がいっぱい流れている川があって、その川までは連れていくことはできるけれども、水に触れてみたい(目の前にあることを本当に見たい・知りたい)と思うかどうかは、本人の意識の問題です。未知のものについて常に好奇心を持つ、そのような姿勢がなければ、どちらにしても情報格差が生じてしまうでしょう。格差是正などと言われていますが、人間の貪欲さの部分が一番重要だと思います。何もせずに、その場に留まっているだけで良いのかどうか。好奇心を育てる仕組みを最初に作らないといけないですね。

汐月
学生の中には、「何をしていいのかわからない」と悩んでいる人もいると思います。

安田
そのような学生にも、どこかに気持ちのスイッチが必ずあって、そのスイッチを押してあげられるようなそんな教育を目指したいと思っています。しかし、手厚すぎるのもダメで、その辺りの匙加減は難しいところではあります。学生が10人いれば、10通りのやり方がありますから。

学生時代のお話

汐月
先生の学生時代を教えて下さい。理工系に行こうと決められたのは、いつごろですか。また学科はいつごろ決められたのでしょうか。

安田
理工系に行こうと考え始めたのは、高校生のころです。中学から高校にかけて、算数は良くできたけれど、国語が全くできなくてテストで0点を取ったこともありました。俳句と短歌の問題でしたが、考えれば考えるほどわからなくなってしまって。周りの友人はできていたので、自分の点数を見たときは「才能ないな」と本当にがっかりしました。国語ができないから、文学部も行けないし、法学部もダメだなと。英語も全くできなかったのですが、大学1年生のときに、「このままではいけない。この先絶対に必要になる」と気づいて、自分からESS(※)に入りました。学科を決めたときは、知り合いの先生に相談をしに行きました。そこで「潰しのきくものを選べ」とアドバイスされて、「じゃあ電子かな」という感じで選んだのです。
※ESS・・・English study society(英語研究会・英会話サークル)の略称

汐月
理系・文系についてお聞きしたいのですが、理系に求められる素養、文系に求められる素養とは何でしょうか。

安田
理系・文系と分けるのは、悪しき風習だと思います。大学の専攻では、工学部・文学部・法学部などと分かれてしまうので、ある程度は仕方ないとは思いますが、転学科ができたり、卒業した後でもう一度学び直しができるという風に自由度が高いことが良いと思います。どちらにせよそんなに大した話ではなくて、その分野が好きか嫌いか。それだけで良いと思います。
日本の社会は、年齢・世代に対する世間の目が厳しいと思います。何歳までにどうなっていないといけないといった、決まりきった考えの枠組みをもっと取り外して欲しいとは思います。同世代が一斉に入学~卒業~社会人にならないといけないという考えは、よくありません。社会人になってからでも、自分はこちらの分野を学んでみたいと思えば、すぐに学び直しができるような、そんな自由度がもっとあれば良いと思います。社会における年齢や新卒という概念は、取り払った方が良いと思っています。

初年次教育の大切さ

汐月
「東京電機大学で学ぶ」という初年次科目ですが、先生ご自身で採点をされて、それを通してどんな風に思われましたか。

安田
学生のレポートを読んでみて、私が話したことは伝わっていると感じています。話は伝わっているけれども、学生たちにとって本当に身についているのかどうかは、正直わかりません。その場で書いてもらったレポートは、良くできていたけれども、次の瞬間覚えているかどうかはちょっとわからないですね。それでも何人かは身に付いているはずです。私はそれで良いと思っています。全員が全員、私の言ったことに気づくということは、やはり無いですからね。私が採点するにあたって大切にしたことは、文章の中に「何か言いたいことが書いてあるかどうか」という点です。誤字脱字など、そういったことは一切気にしません。だから、非常にきれいにまとまっている文章であっても、「先生がこう言っていました、終わり」ではダメです。自分で言いたいことがあるのかという点を重要視します。例えば、テーマとして「東京オリンピックにあったら良いと思うものは何ですか」と質問したときに、「こんなものがあれば良い」とそこで終わるのではなく、「これを実現するためには、こうすれば良い」というところまで書くことで、意見に筋が通っていくのだと思います。「先生はこちらが重要だと言ったが、僕はこちらの方が重要だと思います」と意見を言えることが良いことです。言われた通りに「そうですね」では困ります。学生自身が自分の意見をもって行動を起こせるかどうかが重要です。

汐月
そういう学生には、もっと議論をさせるべきでしょうか。グループディスカッションになると、意見を言えない学生も出てきてしまいますが。

安田
議論はどんどんさせた方が良いと思います。自分にとって、何が一番大切だと感じるかを議論しなさいと。同じテーマで話をしていても、各自の意見は全然違うので、そこに自分では感じなかった「気づき」が出てくる可能性がありますよね。
グループの構成は10人もいると話をするのも難しいですが、5人くらいなら調度良い。50分間黙ったままになると言うことがないように、「あなたの意見はどうなの」と話を振ってくれるファシリテーターも必要です。
例えば、サイバーセキュリティの科目ではこんな場面がありました。演習が中心なので5人位のグループを組みますが、グループ分けを学生にまかせると、学生は学生同士、社会人は社会人同士にまとまりがちです。社会人は話合いに慣れているから、どんどん先に進むけれども、学生だけのグループでは、全員が黙ったままで終わることがあります。そうなることがわかっているので、学生も社会人も一緒になるようなグループ編成をするのですが、学生が意見を何も言わないので、社会人側が戸惑ってしまいます。黙ったままで授業が終わってしまうのです。それが3回くらい続くと、社会人の方も、何か言わせるにはどうしたら良いのか考え始め、学生の方も何か言わないとマズイなと感じ始めます。そこで段々とグループの雰囲気がほぐれてくるわけです。4回目くらいになるとまともに議論できるようになってきます。はじめは場の状況把握をするだけですが、段々と形になってきます。時間はそれくらいかかると思います。
それから、同じチームでずっとやっていると序列が決まってしまいますよね。喋る者は喋るし、喋らない者は全然喋らない。彼が話すから自分は黙っていてもいいやと、そういう意識になってしまいます。ディスカッションするにしても相手が毎回違うことが重要で、仲間ではなく違う学科の先生やメンバーがグループになることが良いと思います。今度はどんな人とグループになるのかわからないのが面白い。そのようなカリキュラムを、1年生のときに経験出来ればよいと考えています。一旦身につければ自転車と一緒で、喋る必要があれば喋れるようになるはずです。ただ1~2回では身につかないので、相当長い期間がかかると思います。各グループに3年生と大学院生が1人ずつファシリテーターとして参加するのが良いのではないかと思っています。上級生が出しゃばらずに、グループをコントロールして欲しい。これがグループディスカッションの構成になるとよいと思っています。

汐月
ファシリテーターですね。リーダーではなく、場の活性化をする役割を担う人材ですが、どのように育成していけばいいでしょうか。

安田
学生はファシリテーター側の役割もできるようになって欲しいです。そういう意味では、3年生がファシリテーターとして参加するのはとても良いと思います。ファシリテーター育成法などは口でいくら説明しても、学生自らが体験しないことには理解できないと思います。そういった環境でその立場になれば、始めは上手くいかなくても、段々とできるようになるはずです。失敗は無限にしていいのです。
このグループディスカッションは、何かを達成することが目的ではありません。話し合いとなったときに、物怖じしなくなってくれればそれだけで十分です。初めて会った人ときちんと議論ができるかどうか、そこが一番大切です。世の中に出たら、多種多様な人物がいるということがわかっていないといけません。君はどう思いますかと聞かれて、ずっと黙っているような人間では困ります。初めて会う知らない人とでも議論ができる、そんな人間になって欲しいと考えています。教員側は、そんな学生を育てる手助けをして欲しいと思っています。